1989年9月 | |||||
”一緒に Mt.Whitneyへ登ろう”と、岩氏を説き伏せて、久しぶりに出かけたUSAです。 その前哨戦という事で、LAの南にあるSun Golgonioに登りました。 下山後に、息をする暇も無いほど咳が連続する気管支炎に悩まされました。 苦しむ僕を見て、岩氏曰ク”松は死ぬかと思った。” 僕も死ぬかと思った。 現地の友達が医者で良かった・・・・。 結局僕はMt.Whitneyには登らず、USAを一周しました。 岩氏は、後から来たH 氏と、自転車でMt.Whitney登山を果たしました。 若かりし頃の思い出です・・・。 |
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一日目 Los Angelsの友人の車で、朝早くに登山口の管理事務局まで送ってもらいました。凍えるような寒さです。初めての外国の山。胸が高鳴ります。 |
見るからに乾燥帯です。ガラガラヘビやピューマよけに空咳をしながら登りました。きっとこれが良くなかったのだと思います。 |
水の流れはあるのですが、どうも乾燥帯は肌に合いません。途中、レンジャーのお姉さんに”登山許可書を見せろ”と我々だけ要求されました。ほかにも登山者がいるにもかかわらずです。人種差別だ!いや、汚い恰好した我々が密入国者に見えたのかも・・。 |
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一日目のキャンプサイトです。テントは自分たちのものを含め、2張でした。もう一つのテントは、Oscarというかっこいい山岳ガイドの家族でした。寒い中、少し話をしました。 |
二日目 アメリカクロクマ避けに、食料は木に吊るしました。このあと訪れたオレゴンのキャンプサイトでは、実際にキャンプサイトでクマが走り回っており、テーブルの上に置いていたOREOを取られました・・・・。 |
旅客機の残骸です。緩やかな登りが延々と続きます。このような登りの嫌いな岩氏は、直登してしまいました。 |
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3、506メートル 快晴の頂上です。 | いざ下山開始。岩氏の雄姿です。 | 二泊目のキャンプサイト めずらしく、岩氏が調子を崩しました。このサイトはテントの花盛り。”私たちは君たちのように重い荷物を持って、頂上へ向かうような事はしないんだ。”とは、現地のハイカーの弁。アメリカのハイキングのスタイルは、空荷で頂上往復が一般的のようです。 |
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この日からは、ひたすら忍耐でした。 下山後の何時間もの車道歩き。宿を取った後、今度は僕の体調悪化です。 この後1ヶ月ほど気管支炎を患いました。 もう乾燥帯の山はこりごりです。 |