1996年7月26日~28日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体調が良くなく、迷いに迷って出発。 全ての切符と宿を昨日キャンセルしたばかり。 新大阪から長岡まで5時間半の電車。 少々うんざり。新潟は遠い・・・・。
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7月27日 枝折峠から登山開始です。暑く、ガスで視界も悪く、おまけに荷が重い。途中、峠への登りから垣間見えた越後駒(の裾野)は、はっきり全体像を把握する事が出来、”さすが越後の名峰。僕のイメージにピッタシ”と余裕をかましておりました。この後どんな事になるか想像もせず・・。 |
まだ日中なのに、この暗さは???単に写真の現像がまずかったようです。(笑) 稜線に出ると、ハルゼミの声が聞こえます。傾斜はあまりきつくないのですが、アップダウンがあり、荷物も重たく、半分以上嫌になっています。(笑) |
陽が翳っており、涼しいのがせめてもの救い。登りが辛い・荷が重い・・。水の心配をして、ホテルのまずい水を2㍑別に持って上がったが、小屋周りは雪解け水の豊富な事。おまけに毛布もある!!すごい山です・・。 |
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7月28日 檜廊のアップダウンが続きます。越後駒の頂上で、地蔵に”また来ます”と一念し、中岳への縦走です。ネマガリタケの悪路。時間がかかります。時折顔を出す花畑はすばらしいのですが、写真を撮る余裕がありません。 |
中岳頂上です。かすかに雷が鳴っています。学生さん?が気持ちよさそうに眠っていました。ここから十字峡への下りが急なのですが、この暑い中バテバテ組が登山道で座り込んでいました。”途中で見かけたらもうちょっとだから頑張れと言ってください。”と、先行組に依頼された僕。でも、もうちょっとと言っても・・・。嘘をついてごめんなさい。 |
あまり見た経験の無いハクサンコザクラです。この後は、東北に足が向くにつれお馴染みの花になりました。 |
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日向山です。1500mそこそこの山なのに、この時期にこの雪の量です。暑くて熱射病気味の僕は、この雪の上で暫く寝転んでいました。口に含んだり、頭や顔に擦り付けたり。とても冷たくおいしかったです。この後が、悲惨でした。この日向山からの下りが急で、横腹は痛くなるわ、足は痛くなるわで散々な目に合いました。おまけに、水が尽きました。そのため水場まで一気に2時間半下り、十字峡に下りたときは、もうふらふらです。もうどうにでもしてくれ状態です。丁度、十字峡ではシャクナゲ祭が開催されており、そのシャトルバスに乗せてもらい、野中のバス停まで辿りつきました。あのバスは有難かった・・・。 |
本当は、この後登ろうと思っていた巻機山方面です。でも、とてもそんな気力も体力もありません。ほうほうの体で長岡へ逃げ帰りました。上越の山は、ちょっと来て、すっと登って、直ぐ帰る山ではありませんでした。 当時の帰宅後の反省です。 ”上越の山に盛夏に登るのは止めよう!!” |