2011年4月30日~5月1日 | |||||
そろそろ動かないとどこかが腐ってきそうな雰囲気がじわりとのしかかってきた。 コレは大変と、山の霊に清めていただきに行く先は大峰行仙に決定。 他事で1泊しかできないスケジュールとなったが、 それでも行仙小屋は暖かな木漏れ日と冷たい風雨で歓待してくれた。 腐りかかっていたものがどこかへ吹き飛んでいった感じ・・。(^ ^) |
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2011年4月30日 | |||||
夜10時頃に倉敷を出発しようと思っていたが、夕方の道路交通情報では山陽道岡山近辺でトンネル事故のため不通との事。ならばと風呂に入ってゆっくり。あくる朝4時頃出るつもりが2時に目が覚めた。ええい、このまま行っちゃえ!美原北で近畿道を下り、五條でしばらく迷ってうろうろ。十津川経由でついた登山口、計5時間半。今回は事前の情報の通り、奈良の車が泊まっていた。尾鷲もあった。みな新宮山彦の仲間。(^ ^) |
行者堂 林道脇の砂袋をザックの雨蓋の上にひょいと乗せて・・。まず最初に行者堂の行者さまにご挨拶。前回台風の最中ご挨拶に伺って以来・・かな??暖かな陽射しの射しこむ静寂に包まれた行者堂。 |
行仙小屋 そして懐かしの囲炉裏。今回もひとり。サツマイモの作付けに忙しい方や、長期休暇であて無し旅へバイクでふらりの方や、今回催されるであろう楽しく火を囲む会を敬遠された方々にフラれまくって、やっぱり今回もひとり。 まっ、水汲みに行きますか・・。 |
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水場 水場には清冽な水が十分流れている。この時期はあまり心配しなくても良いのかな? |
まずはいつものとおり20リットルに挑戦。写真のポリタンクを二つ背負うわけだが、背負子の調節が良いのか、安定感は良い。今回は漏斗まで完備されていた。もう言う事無し。 ※水の入ったポリタンクを凸凹のある地面に置く時にはそっとネ。底が割れてしまいます。今回も2つ底が割れて水漏れしているポリタンクに遭遇しました(苦笑)。 |
でもやっぱり重たい・・(涙)。喘ぎながら小屋まで登り、しばし休憩。誰も来ない。じゃ、も一度行きますか・・。で、今度はポリタンクひとつ。この後丸太担ぎが待っているし・・。と自分に言い訳しながら10リットル。先ほどに比べたら楽勝・・。 |
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小屋に戻ってしばらく転寝していると、2名の方が。和歌山のMさんご一行。出身は岡山井原との事で、話が弾み・・。玉岡代表も登って来られ、食事の後”じゃ行くかの・・。”どこへ行くのか、水も持たずに空身で大丈夫か心配になるほど延々とてくてくてくてく |
地蔵岳が正面に見える場所で丸太を調達。葛川辻の水場で整備を終えた乾隊が帰ってきた。我々含め総勢10名。玉岡代表は86歳になられても、丸太は自分で担ぐ。安定性を持たせるためと称して杭2本付き。 |
少し雨が落ちだした。 |
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2011年5月1日 | |||||
昨夜の大宴会はすさまじかった・・(笑)。乾隊が用意してきてくださったすばらしい食材の数々を、これまた乾隊の女性陣がてきぱきと料理に仕上げていく。腹いっぱいおいしいゴージャスな料理をいただいた後で、玉岡代表の歌。芸の無いコーブーは、井原出身のMさんに”次回までに覚えて来なさい!”・・。途中飛び入りの2名の方もそれぞれ隠し芸を披露・・。とても美味しいお酒でした・・。 |
そして一夜明け、小雨の中朝一番の水汲みポリタンクひとつ。空のドラム缶を背負子にくくりつけ、行仙岳北面の登山道へ。この道は行仙小屋へ向けて深仙から長々と歩いてきた末にたどり着く最後の苦しい登り。ここにバラスを撒いて道の崩壊を食い止める。 |
ちょっと休憩。女性陣の差し入れ饅頭をいただきながら、しばし歓談。 |
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戦い終えて・・。 昼食もまた乾隊に作っていただいたカレー。 夕方までお手伝いする気持はあったのだが、 玉岡代表の慧眼は誤魔化せない。 コーブーの本心をお見通し。 ”食事後に下山する乾隊と一緒に下りなさい。” 行者堂にしばしのお暇を乞い、14時過ぎに下山し、 渋滞も無く自宅帰着が20時前。 浄化されました。 |